ナズナ記

日記

ヤフーブログを思い出したり

10年位前、まだヤフーブログが盛んだったころに少しブログを書いていたことを思い出した。ただ思い出しただけだが。

運営方向不透明

かれこれ7~8年くらいTwitterにいたせいか、どうやってブログを書くのかすっかり忘れてしまった。レポート形式だと低頻度でないと品質を保てないし、Twitter感覚で書くと大変クソな記事になる。 *1

どうしたものか…。

一応、1週間ごとに報告するような感じで投稿しようと思っていたのだが、Twitterの「新鮮な思考」を記録するという便利さがなくなってしまいモチベーションが下がってしまう。過去の「新鮮な思考」を後から見返して感心することも少なくない。

日記にでもしてみようか…。

最近、思ったこと

こんな感じでコラム集みたいにするのはどうだろう。

技術的な雑談

最近、色々あって同期とよく話すようになった。私自身は雑談は苦手なのだが、技術的なお話となると別だ。例えば、

「仮想スイッチのGUIがわかりにくくてさー」

「あー、それはつらいね。Gi0させろって思っちゃうよね」

こんな話で笑えるのがとても楽しい。ゴシップとか、政治とかそういう話題もまあ悪くないけどそういう話題はお互いに一定の教養がいる。かみ合わないと議論、雑談すらできない。最近センシティブな内容になったら黙るようになってしまった。でも技術は何ら人間的、人格的、思想的な内容が直接的に内包されない。宗教とか、思想、立場に大した配慮をせずに楽しめる。(敬意はいるけどね)

尤も、そういう話ができる人間に教養が備わっていることが多いともいえるのかもしれない。

脳の構造とAI

最近、拡散モデルや大規模言語モデルなどの「AI」が話題になっている。で、一定の界隈でよく炎上していたりする。

例えば有機的な「AI」だったらどうなっていたのか。生命的だったらどうなっていたのか。磔にして焼いてたりするのかな。とか思ったりする。そんな勢いだった。そして、そんな議論は嫌われる。

余談として群集心理とか民族暴力みたいな社会学的な本を読んでからインターネットの「炎上」の解像度が高くなった。人間はそう簡単に変わらないんだなあとも思う。

有機的な「AI」の話の戻ると、キーボードの配列を弄って以来、「AI」のモデルがいかに優れたモデリングかを思い知る。昨今の「AI」ブームの先駆けに脳をモデリングしたニューロンモデルの再注目がある。その中にボルツマンマシン、特にホップフィールドネットワークというものがある。ニューラルネットワークの入力層、出力層がノードすべてになり、ノードの結合が双方向になったものである。このネットワークに対してトレーニングを行うと、ノイズを与えた信号を与えるとノイズ(欠損)部分が補完されるといったものだ。人間の記憶によく似てるなと思った。実際、出力を得ることを「想起」という。

今まで、脳がQWERTY配列に強く重みづけされていた私がColemak配列を再学習した時、今までワードを思い浮かべると指の動かし方を「想起」していた。ただ、Colemak配列にしたとき、アルファベット一つ一つはすぐ打てるが、ワードとなると途端に打てなくなってしまう。「想起」できなくなってしまう。また、学習が進むにつれて二つの配列が合わさった何かが勝手に意思と関係なく「想起」される。因果としては逆だが、自分がホップフィールドネットワークのようで面白かった。

何も根拠がないので「混同」と言ってしまえばそれはそうだが、何らかの強い関係性を感じてしまう。

そんな話。

*1:最近の不可解な記事